2015-01-01

森博嗣「サイタ×サイタ」

ネタバレです。そのつもりで。ミステリーについては言及しません。いつもの小川や真鍋が、素行調査を請け負うのだけれど、その過程で...という話。

「できなくもないっていうのは、できるけれど、それなりに高くつくという意味だ」
「お金ですか?」
「まあ、そう、一般的には……」
「知りたいですけれど、今の仕事とは関係がありませんから、ちょっと無理ですね」

ソフトウェア開発を彷彿とするやりとり。調べる/実装することはできるけれど、時間=お金かかりまっせ。

「つまり、それほど親しくもないけれど、知合いの人物から、恐いから助けてくれ、もう死んだほうがましだ、なんて言われて、放っておいたら自殺しかねない、という状況だったら、ということです」
「うーん、ちょっと待ちなさいって言いますね」
「でも、相手は電話を切ってしまう。どうします? 放っておきますか? 自殺したいなら自殺すれば良いって、そう割り切れますか?」
「うーん」小川は唸った。自分は何を考えているのか、と思った。
「僕は放っておきますよ。」真鍋が横で言った。「死ぬのはその人の自由だと思います。すぐ助けに来て欲しいと言われれば、行くかもしれませんけれど、自殺します、と言われても、たぶん、警察へ電話をするだけですね」

話題が話題だけにセンセーショナルな感じだけれど、究極的には「頼まれもしないことを、するのか?」という話だ。頼まれていないことは、やらないように努めようとしている。頼み方が下手とか、頼みにくい状況というのは考慮するけれど。

先回りして「こういうことを、したほうがいいかも」と思うことがあって、ついやりたくなってしまう。やらないように努めているけれど、ついやってしまう。

気をつけないと「俺がやってやったのに」みたいに思ってしまって、DVとかストーカーとか、そういう方向に行きそうで、恐ろしい。

プレゼントを渡されるのが嫌だ、とよく言っているのは、自分にDVやストーカーのメンタリティがありそうだからだ。頼まれた場合をのぞいて、プレゼントは「喜んでもらいたい」という渡す側の動機でなされる。したがって、喜ぶかどうかの責任は、渡す側に 100% ある。けれど、受け取ったプレゼントを気に入らなかった場合にぞんざいに扱うと、受け取った側に責任が押し付けられる印象がある(せっかくもらったんだから喜べ、的な)。渡す側に動機と責任があっただろう、と。

頼まれもしないことをすると、いろいろややこしいなぁという話でした。